IF Another despair side:Syugeibu

あってはならない未来。 けれど、ありえなくはない未来。

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No.9

【IF Another despair side:syugeibu】タマシイの棲むコドモ



【20XX年 封鎖特区 横浜】

 始まりにして終わりの地、鎌倉。
 世界結界はもはや意味をなさず、
 敵性来訪者の来襲、そしてシルバーレインによるゴーストの発生により荒廃した地。
 そのすぐ隣に存在する特区。
 終末のお隣さん、とも揶揄されるもう一つの封鎖特区。
【封鎖特区・横浜】
 この物語は、世界の終りの一歩手前で紡がれる。


――“教主”
 この【封鎖特区・横浜】に生きていて、その名を知らぬ者はまずいないだろう。
 生まれたばかりの赤子だって知っている。
 死に逝く間際の老人だって知っている。
 それは、つまりはそういうものだ。
 曰く、救世主の再臨。
 曰く、女神の現身。
 曰く、いと高きにして貴き御主。
 曰く、政府の天敵。
 曰く、大逆人。
 賛否両論数あれど、この特区においては概ね賛美と共に語られる名前。
 ただ、『彼女』に本当に近しい者だけは、もう一つの名前を口にする。
 その名前に、等しく同じ姿を思い描く者達だけは、彼女の事をこう語る。
 懐かしげに。愛しげに。
 大切な家族の事を語るように、彼女の事をこう語る。

 曰く――月宮・ヒカルは
     銀色の髪の綺麗な、とても優しくてほんの少しだけ強い、小さな女の子だ、と。



  †  †  †


 幾種類もの花々が満ち溢れる庭園を巡る、石畳の回廊を青年は歩いていた。
 背の高い青年である。
 陽に透ける髪は金砂のようで、その下の瞳は遠い日の空を切り取ったかのように青い。
 補強の入ったブーツが石畳を叩く度、長身を包む僧衣服(カソック)の裾が小さく揺れた。
――それにしても、随分すんなりと通されましたね。
 声には出さず呟いて、青年は自分を先導する『庭園』兵士の背中を眺める。
 正直に言えば、肩透かしを食らった気分だった。
 単身敵地である【白の庭園】本拠地を訪れ、正門を警護していた兵士達に名乗りを上げたのが十分ほど前。報告のために駆けていった兵士を見送って、それから数分と待たされぬ内にやって来た一人の兵士――おそらく、警備に当たっていた兵士達よりは上の階級なのだろう――は、こちらの顔を見るなり「“教主”様がお会いになるとの事です」と言って踵を返したのである。
 そうして現在、青年はその兵士に従って『庭園』本部の前庭を歩いていた。
 規則正しい歩調で前を行く男の背中を追う。
 人畜無害な微笑を浮かべながら、青年は内心で軽く息を吐いた。
 面倒が無いのは結構なのだが、或いはその場で本格的に敵対されるか、下手をすれば本当に殺し合いにまで発展する可能性も十分以上にありえただけに、青年としては少々物足りない感があった。なんとなれば、自分は彼ら『庭園』にとって不倶戴天たる人間なのだから。それこそ、出会えってしまえば殺し合う以外の選択肢が存在しない程度には。それ故に、今回に限ってはそうならないための手も幾つか用意はしていたのだが、現状ではそれらがすべて無駄になってしまっていた。勿論、自分の目的を考えれば、まだ伏せておけるのなら伏せておきたい手ではある。あるのだが、さすがにこうもすんなり通されるとかえって気味が悪い。
――それとも、本当に僕を客人として迎えるつもりでしょうか。
 まさか。
 思い至った瞬間に否定する。
 いくらなんでもそれはない。
 もしもその程度の相手なら、それはあんまりにもつまらなさ過ぎる。
 だとすれば。
――罠か。
 油断させておいて後ろから撃つ、というのは戦略の常套である。
 事実、彼自身もよく使用する方法だ。
 それが今回は自分に仕掛けられているのだとすれば。
 そう思ったのと同時、前を歩いていた兵士が突如として振り返った。あまりにも無駄の無い、そのタイミングをずっと探っていたとしか思えない完璧な、理想的な動作。それ即ち、最速を導き出すための方程式。こちらに対して半身に構えた兵士の手の中には既に一挺の拳銃が握られていて、つい思考に意識を向けていた青年は、その事実に気付くのが僅かに遅れた。その僅か――時間にすればゼロコンマ以下の遅滞こそが、彼にとっての死神となる。自分の心臓を照準(ポイント)する暗い銃口を視界に収めたまま、青年は己の迂闊と神を呪った。
 BANG。
 と、いつこんな風になってもおかしくはない。
 ひょっとすると、この瞬間にも周囲の植え込みの中では銃を構えた兵士達が引鉄に指をかけているかもしれない――そんな埒の無い考えにつられて、青年は何気なく植え込みへと目をやった。
 よく手入れの行き届いた植え込みは、御伽噺に出てくる貴族のお屋敷のそれを思わせる。青年の腰元くらいの高さの植え込みには、今ではもうすっかり珍しいものになってしまった花々が、満ち溢れるように咲いていた。色鮮やかな花弁を惜しげもなく広げた名前も知らない花達は、華々しいものから楚々としたものまでどれもが一様に瑞々しく、彼らを育てた人物がどれだけの手間と時間を注いできたのかを窺わせるかのようだった。

「あれ?」

 そうして、青年は思わず足を止めた。
 その視線の先には小さな花壇。
 植え込みと植え込みの途切れた部分を埋めるように作られた、何の変哲も無い小さな花壇がある。
 レンガで区切られたそのスペースには、
 可愛らしい青色の花が、けれど生命を謳歌するように力強く咲いていていた。
 まるで小さな鈴のようなその花の名前を、彼は知っていた。
 ずっとずっと昔、まだ自分が子供だった頃、祖父と二人きりで暮らしていた教会の花壇に咲いていたあの花だった。あの学園に入学する事になって、一人きりでこの国にやってきて、新しい生活に不安を抱いていた頃に、偶然見つけたあの花だった。思わず買ってしまった苗を寮まで持って帰ってきたはいいものの、植え方も何も判らないで困っているところを見付かって――
 そうして、あの銀色の髪の綺麗な女の子と一緒に。
 まだ少年だった頃の彼が植えた、故郷の名を持つ花だった。
「どうかしましたか?」
 気が付けば、先を歩いていた兵士が立ち止まってこちらを見ていた。
 と言うか、それはそうだろう。
 自分が案内していた人間が急に足を止めれば、普通はその姿を確認するものだ。
 そんな兵士の問いかけに顔を上げた時、青年の顔には薄い微笑が浮かんでいた。
 いかにも女性受けの良さそうな、優しげな微笑。
 つい微笑を返したくなるような笑顔で、青年は答えた。
「いえ、なんでもありません」
「……そうですか」
 数秒、まるで彼の心情を推し量ろうとするかのようにじっ、と青年へと視線を向けて。
 結局何一つ見て取る事ができず、それだけを言って兵士は再び歩き出した。
「先程の花壇は……」
 しばらく回廊を進んだ辺りで、兵士は唐突に口を開いた。
 視線は前に向けたまま、青年には背中を向けたままで、続ける。
「先程の花壇は、“教主”様が手ずからお整えになったものだと聞いています。“教主”様は叶う限り御自身の手で草花のお世話をなさっておりますが、この広い庭園の全てを一人で整えるのはさすがに不可能です。ですから普段は付近の住民や子供達がお手伝いをしているようですが……他の者には絶対に世話を任されぬ場所があります。あの花壇は、その一つですよ」
 訥々とした口調で、兵士は語った。
 いかにも軍人然とした慇懃な言葉遣いながらも、“教主”への尊敬と、それ故にあの花壇は特別であるのだ、という趣旨が十分に伝わってくる。
 青年は静かにその言葉を受け取った。
 吟味するように目を閉じて、頭の中でもう一度言葉を反芻する。
 一呼吸の後に、彼は答えた。
「そうですか。で、それがなにか?」
「……いえ、なんでもありません」
 先の青年の言葉をなぞるようにそう言って、兵士は歩いていく。
 程なく、前庭を抜けた。
 そうして青年は、何年振りかも判らぬ時を経て、その扉の前に立った。
 いかにも時代がかった木製の扉。
 もうずっと昔、不安と共にノックした、あのドアだ。
 重厚な印象を与えるその木板が、けれどその見た目に反してとても軽やかな音を立てるのだという事を、果たしてどれだけの人間が知っているだろう。初めてこの寮を訪れた時、まるで自分を祝福してくれるかのように鳴り響いた音を、青年は今でも覚えていた。
 そう、覚えている。
 学校が終わって、部活を終えて、帰ってきた自分達を迎えてくれた、あの笑顔を。
 銀色の髪が夕陽にキラキラと輝いていて。
 おかえりなさい、と微笑む声は、きっと世界で一番優しかった。
――そうか、僕は……帰ってきたのか。
 この場所に。
 この寮に。
 あの人と、あの人と、あの人と。
 彼と、彼女と、彼らと、彼女らと。
 同じ時間を刻んできた、この“家(ホーム)”に。

「どちらにいかれるのですか?」

 横合いからかけられた声に、まるで誘われるかのように踏み出しかけていた足を止めた。
 見れば、案内役の兵士は建物を迂回するように伸びる回廊の側に立っていた。
「“教主”様はこちらでお待ちです」
 相変わらず素っ気無い態度で告げて、兵士は先へと進んでいく。
 その背中を数秒見送って、青年は小さく溜息をついた。何となく、自分がこの扉をくぐる事は二度とないんだろうな、と思った。その想像にまた一つ溜息をついて、青年は灰色の回廊に足を向けた。
 素朴でありながらも所々に精緻な彫刻が施された壁を横手に眺めながら、石畳を進む。
 記憶が確かなら、この回廊は建物の外周をぐるりと囲むように配されていたはずだ。頭の中の記憶野(ハードディスク)から当時の寮の見取り図を引きずり出す。さて、狙撃、ないし伏撃に適したポイントは幾つほどあったか。トントン、と人差し指でこめかみを叩きながら思い出していく。その一方で、この試みにあまり意味が無い事を青年は自覚していた。変わっている。記憶にある建物の外観と、今歩きながら眺めているそれには微妙な隔たりがあった。おそらく自分がいた頃からかなり弄くったのだろう、パッと見た限りでも見覚えの無い箇所が幾つか目に付いた。
――まぁ、それでもやらないよりはマシでしょう。
 外面だけはニコニコと人当たりの良い微笑を浮かべながら、歩いていく。
 先程の扉を正面と考えて、向かって右手側。
 あの頃は東館と呼ばれていた建物の周りを回る。
 自分の右手側にあった花壇が無くなった辺りで、今度は鉄柵が右側に聳え立った。
 複雑に絡み合う壮麗な装飾を施された、『庭園』本部を外界から隔絶する鉄の守り。ふと、軽い既視感(デジャヴュ)に襲われた。思い出の想起ではない、記憶の再生でもない。この場所を、否、この空気をどこかで感じたことがあるような、そんな気がした。だが、それがどこであったのかが思い出せない。この感覚を、確かにどこかで味わったような……
「あぁ、そうか」
 脳裏を掠めた情景を押さえつけて、その内側を覗き込む。
 そうか、ここは、あの籠の中によく似ている。
 緩く閉じた瞼の裏に浮かぶのはある笑顔。壊れた玩具の壊れた笑顔。そう、この空気は彼女のいたあの部屋のものだ。あの閉じた世界に、とてもよく似ている。四方を囲む鉄柵。空を閉ざす朱色の天蓋。棺桶じみた静謐と、空虚を埋める芳しい花の香。普通に考えてみれば、それはあまりに荒唐無稽な連想だった。あの狭い暗室とこの開けた庭園では、あまりにも何もかもが違いすぎている。それでも、彼にはもうこの『庭園』が巨大な籠としか思えなかった。開いているのに閉じている。繚乱の花と歪な矛盾を内包した、限りなく清浄な箱庭。しかし、だとしたら。
 その中に閉じ込められているものは、一体何なのだろうか。
――考えたところで仕方無い、か。
 青年の微笑みに苦味が混じる。
 所詮は主観のイメージである。
 根拠のない戯れに割く思考すら惜しいような今の状況では無駄と誹られたとしても否めまい。そして、そういうものを無駄と誹るのは自分の役割だった筈だ、と。青年は珍しく自分自身を嘲った。
 そのまましばらく進んでいくと、重々しい鉄の気配が完全に右側を塞いだ。
 そして、ちょうどそのあたりから陽が翳った。
 どうやら東館の陰に入ったようだった。
 辺りはまだ明るい。日が沈むまでにはもう少し時間があったように思える。
――となると、いま太陽はあの辺りかな?
 大体の勘であたりをつける。
 太陽の位置は狙撃に大きく影響する要素(ファクター)である。押さえておいて無駄になる情報ではないだろう。もっとも、本当に狙撃を実行する気ならもっと狙い易いポイント――例えばさっきまで歩いていた庭園など――で撃ってきているだろう。そう思わせて自分を油断させるための罠だったのだ、という可能性もあるにはあったが、そこまで考えていてはキリが無い。
 この場はとりあえず、狙撃の可能性は無いものとしておこう。
 それでも一応その情報を頭の片隅に放り込みながら、何食わぬ顔で兵士の後を追う。
 すると。
「少し、よろしいでしょうか」
 前を行く兵士が、静かに口を開いた。相変わらず前を向いたまま。
――さて、これは僕の気を逸らすための囮かな?
 などという考えはおくびにも出さず、「どうぞ」と返す。
 邪険に断ってしまっても良かったのだが、まだあちらの立場が判らない以上無難に返答しておくべきだろう、という判断だった。万が一、いや、多分無いとは思うのだが。もしも『庭園』側がこちらの正体に気付いておらず、本当に客人として自分を迎えているのだとしたら……それはそれで利用できるカードとなる。なら、それをみすみす潰してしまう必要も無い。
 そんな青年の内心など露知らず、与えられた許可に小さく礼を返して――やはり前を向いたままだったので、頭の微かな動きからそうなのだろうと判断した――兵士は続けた。
「あなたは……クルス様は、“教主”様のご学友であったとお聞きしていますが」
「えぇ。と言っても僕は中等部で、あの人は初等部でしたけれど」
「そして、ここで暮らしていた」
「はい、それが?」
「では、この場所を………懐かしい、と思われますか?」
『庭園』の制服に包まれた背中を見ながら、青年は僅かに口篭った。
 その問いかけに、どう答えようかを考えているかのようだった。
 そうして数秒。
 数歩分の沈黙を挟んで、答えが紡がれる。
「そうですね。正直に言うと、僕はこの寮に帰ってきても、自分は大した感慨を持たないのだろうと思っていました。僕という人間の人生を振り返ってみれば、この寮で過ごした時間なんて瞬きほどのものでしたから。でも……」
「でも?」
「そうですね……実際に帰ってきてみると、うん驚いています」
「驚いている?」
 はにかむように微笑んで、青年は言った。

「僕はこの寮が、この寮の皆が――本当に大好きだったんだなぁ、って」

 青年の言葉に、兵士は振り向いていた。
 それは肩越しに視線を投げた程度の、本当に小さな動作だったけれど。
 軽く見開かれた瞳には確かに驚きの感情があった。
 信じられない、そう語るような瞳だった。
「もっとも、今更遅すぎるのかもしれませんけれど、ね」
 青年の微笑が翳る。
 大好きだった、そう語った時に浮かべていた、本当に綺麗なものを宿した微笑みに陰が落ちる。
 それは、後悔。
 痛みと呼ばれる感情だった。
 その日々が美しければ美しいほど。
 その思い出が貴ければ貴いほど。
 過ぎ去りし思い出は青年を苛むのだろう。
 何故なら、彼の両手は既に汚れてしまっているから。
 取り返しの付かないほどの罪に濡れているから。
 だから――僕には、それを語る資格は無い。
 そう嘆くかのように。
 その時、確かに青年は、涙を流さずに泣いていた。
「申し訳ありませんでした」
 青年の反応は、彼にとってあまりにも予想外だったのだろう。
 兵士はばつが悪そうに視線を戻すと、それっきり口を開く事も振り向く事もなく、歩を進めた。
……或いはこの時、彼がほんの気まぐれででも振り返っていたならば、限りなくおぞましいものを目にしていただろう。彼の後ろ、人間にとって絶対の死角であるその背中に向けて、数秒前まで己の罪に涙していたはずの青年は――本当に本当に愉しそうに、嗤っていたのだから。


 突然だが、青年――クルス・リバーウエストは弱い。
 鍛えていない訳ではない。むしろ彼の身体能力は極めて高いと言える水準に達していた。いっそ苛烈とさえ呼べる練磨の果てに鍛え上げられた身体機能は、素手で人間を殺害する事さえ可能である。先に政府の研究所で戦闘訓練を義務化されているはずの軍人を圧倒してのけた様からも、その練度の高さは窺えるだろう。だが、それでも彼は自身を弱者と定義する。主観と客観の両面から判断し、己を弱いと結論付けている。
 その理由が、能力者としての戦闘能力の欠如にある。
 能力者の肉体機能は先天的に高い。イグニッションにより、普段はイグニッションカードに封印され一般人レベルにまで制限されているその本来の能力を解放すれば、能力者の身体出力は格段に跳ね上がる。そこに鍛錬と経験を積み重ねる事で、能力者達は人類の限界さえも容易く凌駕する域にまで成長するのである。
 なのに、どういう訳か。
 彼の『能力者としての力』は、ある時を境に完全に成長を停止していた。
 それも、能力者としては極めて平凡――否、下手をすればそれ以下でさえある、そんなレベルで。自身の肉体を鍛え上げたのも、能力に代わる力を得るべく行った足掻きに過ぎない。
 だが。
 どれだけ鍛え上げたところで、真っ向切って戦えば能力者には立ち向かえない。達人と呼ばれる領域にまで練磨を重ねれば或いは生身でも能力者を圧倒できるかも知れないが、自分にそこまでの才が無い事は、早い段階で自覚していた。武器を持てばその差は埋まったが、それとて砂漠を海に変えるために涙を一滴落とした程度の話でしかなかった。
 だから、クルス・リバーウエストは弱い。
 こと能力による戦闘という点においてならば、彼は特区でも最弱の部類に入るだろう。
 しかし、唯一つ。
“感情”という領域においてのみならば、話は別だ。
 百を優に越える人間というサンプル。
 その終りへと至る過程をつぶさに観察し、入念に観察し、微に入り細を穿ち観察し、観察し観察し観察した。人間の表現する『反応』を、病的なまでに狂的なまでに観察した。一切の欺瞞の立ち入る余地さえ無い圧倒的な熱量を以って、細部まで、隅々まで、必要とあれば中身を全て穿(ほじく)り出して内側のその一番奥の奥まで、徹底的に観察し尽くした。さながら、永遠の命題へと挑む研究者にも似た執着を以って、人間の精神を観察し尽くした。人間という生き物が持ち得る“感情”の全てを、彼は解体して解剖して観察して観察して観察した。
 もしかすると、彼は狂っていたのかも知れない。
 ひょっとすると、彼は壊れていたのかも知れない。
 それでも、夥しい数の罪無き命を積み上げた先で、いつしか彼は手に入れた。
 ずっと求めていた、能力(ちから)に代わる新たなる“力(きせき)”
 心という領域、精神という戦場においてのみ、他の追随を許さない無形にして異形の才。
 悪意によって駆動する、黒色の魂を。
 故に、何人たりとも彼の前で感情を隠す事はできない。
 故に、何人たりとも彼の隠す感情を暴く事はできない。
 彼の名は、クルス・リバーウエスト。
 闇蟠る恐ろしき谷の奥底に座す“悪魔(ザミエル)”の名を冠する、欺瞞の仮面(ペルソナ)
 形無き意識と無意識の狭間こそ彼の者の支配する狩場なれば。
 その魔弾(あくい)は――決して標的を外さない。


 建物の影を抜ける。
 極端な明度の差に、一瞬、視界が閉じた。
 そうして次に目を開いた時、そこにあった光景にさしもの青年も息を呑んだ。
「これは……」
 かつて、色とりどりの花を咲かせて訪れる者を出迎えた花園。
 光と色に溢れた、心溶かすような現楽園。
 その場所には一面を硝子で作られた、奇妙な箱が合った。
 箱と言ってもその体積は大きく、ちょっとした民家くらいはありそうだった。 
 記憶に無いどころではない。こんなものは、まったく知らない。
 いや、正確に言えば知らない訳ではない。
 その建築物が何であるかは予想がつくし、その名称もおそらくは知っている。
 透明な壁面を通して窺えるその内部。
 花と木と、無数の植物に満ち満ちたそれは、植物園と呼ばれるものではなかったか。
「硝子の温室、ですか……」
「はい。あの中で“教主”様がお待ちです」
 誰にともなく呟いた言葉に、答えを返される。
 そちらに視線を向けてみると、すでに兵士は温室へ向けて歩き出していた。
――独り言に返事しないでください。
 青年は今日三度目の溜息をついて、陽光を反射する屋根を見上げた。
 どうやらこの温室(植物園?)は、ここから見る限り長方形をしているらしい。ちょうどかつての花園を丸ごとスッポリと飲み込む形になっているその建築物は、青年が立っている位置から見上げると、屋根を構成している三辺の交差する頂点が、まるで船の舳先のように見える。
 そう、まるで底無しの朱(アカ)い海に、無色の匣船が浮かんでいるかのように。
「ハ――つまり、ここが戦場というわけですか」
 青年は歩き出す。
 黄昏にも似た空の下、数多の命を内包した透明な箱庭へと向けて。
 その中で待つ、銀色の少女を胸に描き。
 遠い楽園を悪意で塗り潰し。
 金色の“悪魔”が、嗤う。

「さぁ、戦争の開始(はじまり)だ」

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  1. 2007/11/12(月) 23:23:27|
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